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麻で地域おこし -栃木農業高等学校の事例

麻で地域おこし -栃木農業高等学校の事例 


大麻収穫の絵

栃木県は野州麻(やしゅうあさ)の産地です。
栃木県栃木市にある栃木県立栃木農業高等学校では、村おこしプロジェクトの里山振興の一環として麻作りの伝統技を受け継ぎ、次世代に継承する援農活動を行っています。

「麻と里山というのは非常に深い関係があります。麻や蕎麦(そば)以外は育てる作物がないところが日本にはたくさんあって、この麻を残さないと里山も消滅してしまうのです。
麻を作った後に蕎麦を作ります。それは、麻は畑の窒素をたくさん吸ってくれるので、その後に蕎麦を作ると非常にコクのある蕎麦を収穫することができるのです。
また、麻を作ることによって色々な農村文化が営まれているのです。例えば、みんなが手伝う「結」や、種蒔きが終わったら集まるとか、麻が倒れないように祈願する祭とかがあります。
麻が無くなることによって、日本の農村文化が忘れ去られます。行事だけではなく、使われていた民具もなくなります。非常に大切な文化なので、これからも残していかなければならないと思います。」
(栃木県立栃木農業高等学校教諭 小森芳次 / 平成22年10月17日 「麻と人類文化を考える国民会議」にて)


※右上写真は、清水登之 作「大麻収穫」(栃木市役所収蔵品)
昭和初期の大麻収穫の様子を描いた絵である。


下野の国とちぎの伝統産業を次世代に

参議院60周年記念論文入賞論文

栃木県立栃木農業高等学校 2年 永山 和

 私の住む栃木県栃木市は足尾山麓の山合いに位置し、のどかな里山が広がっています。しかし三方、山に囲まれた私の家の周辺には、自然環境と産業が谷間となるような地域があります。そして地場産業と呼ばれる在来工業や伝統農産物の産地が存在する地域です。葛生石灰として江戸時代から石灰焼成が行われ「つぼ焼き」「釜焼き」などの工法で、野州石灰として全国一の生産量を誇っています。さらに昭和40年以降の建築ブーム、道路工事用として建築業界の需要も高まってきました。埋蔵量20億トンと言われる豊富な砕石資源がある中、昭和50年代川砂利を使い果たし、山砂利への依存が強まり急成長しています。そして「石灰の街」「ダンプ街道の街」として産業の発展とともに自然が破壊され、民家も離れていってしまいました。一方、山地では400年以上も前から麻、そばの産地が残され、山間地農業が営まれています。

 私の住む集落は日本一の麻の産地で、野州麻と呼ばれ全国各地に出荷されています。麻栽培は、第二次世界大戦以前は全国各地で行われていました。しかし、光沢のある強靭な高品質の繊維を生産できる地域は、栃木県の本校周辺の山麓一帯だけとなってしまいました。麻作りには自然環境が及ぼす影響が多く、夏は冷涼で西日が当らず、霜の害が少なく、砂質土壌で、水はけの良い傾斜地が適しています。栃木県では粟野地区の山間部が風害も少なく良い環境の地域とされています。しかし、山間地の過疎化、さらに後継者不足などの農業をとりまく問題から、麻作りが減少し、昭和15年には6千ヘクタールの麻畑で覆われていた地域も、今年度は5ヘクタールの作付面積で、農家戸数も18戸が残るだけになってしまいました。そして65才以上の高齢者が人口の半数を超える集落となり生活活動を継続するのが難しい「限界集落」と呼ばれてきました。

 このような現状の中、全国各地で過疎化対策として、国や地方自治体ではレジャー施設、美術館、記念館など「箱物」と言われる施設整備など山村復活事業に巨額の資本が投資されてきました。しかし、新聞やニュース等で報道されているように建設後、2~3年は観光客が集まりにぎわいを見せていますが、その後は客足が絶えてしまいます。自治体では維持管理が重なり大きな財政負担となり自治体自体が崩壊しているのが現状です。

 私は現在栃木県立栃木農業高校生活科学科で学ぶ農高生です。入学後、環境科学部に入部し、地域の自然環境問題について調査研究しています。そこで私達農業高校生はこの山間地の自然や環境を守り、農業生産の活性化を目指して「村おこしプロジェクト班」18名を結成し、農家や関係団体と連携して、研究活動に取り組んでいます。山村を守るには、昔と同じように農業の振興を図り、農地の保全や、民俗文化を守り続ける必要があると思います。そこで農業高校の「学習の中心であるもの作り」の教材を生かし、村おこしに取り組むことにしました。

 とちぎの麻作りは1500年代に始まり、「野州麻」の名柄で全国に出荷されて来ました。麻は繊維としての強さを生かし、下駄の鼻緒、麻縄、など生活用品として利用されてきました。しかし化学繊維などの普及に伴い需要が少なくなってきました。しかし「民俗行事」、「神社の祭事」など日本人の生活風俗に欠かすことのできない貴重なものです。麻は大麻の原料になるため「大麻取締法」の問題から、一般の栽培は禁止されていることがわかりました。そこで全国で唯一麻の産地が点在する農家で、現場実習を行いました。麻は4月に種まきを行い、草丈3m以上に成長した麻を刈り取り、麻風呂といわれる大きな桶に浸し乾燥させておきます。その後麻引きを行い、竹竿につるし、干し上がった麻は精麻3000枚で15㎏を1把として取引きされています。このようにすべて手作業で熟練を要する仕事の為高齢化した麻農家にとって大変な仕事です。私達は毎年この時期に現場実習を行い、地域農家と連携し活動しています。

 栃木市は北部の麻栽培地域に隣接して、下駄・鼻緒・草履等の地場産業、芯縄工業の発展に重要な要因となっていました。まず「芯縄」と言われ下駄の鼻緒など、今でも希少価値の高い伝統縄作りに取り組みました。この芯縄作りは水田農家で農閑期の副業として行われ、我が家でも100年以上も前から行っています。そこで、我が家に伝わる芯縄台を見本として昔ながらの組み込み法を用いて作りました。麻をなうことは太さや長さも均一にするなど難しく、手のひらもすりむけ、根気のいる作業です。規格品は一反といわれ1000本の麻ひもが編んであり、栃木の麻農家が生み出した麻ひもの芸術品です。この職人技を受け継ごうと私達も毎日、芯縄作りに取り組んでいます。

 麻の表皮を取り除いたおがらは、古い民家の屋根のふきかえに使われる以外は、農家の庭でカイロ灰として焼かれ、農家の収入源となっていました。携帯用暖房機具の一つであるカイロ灰は、栃木市の地場産業として野州麻の生産地を背景とした伝統産業として全国各地はもちろん中国・朝鮮半島にも輸出されていました。原灰の生産は農家の副業として行われ昭和中期には150戸の農家が麻炭焼きを行っていました。しかし、1980年代に入ると使い捨てカイロが普及し、生産の火が消えてしまいました。そこで、昔ながらの「カイロ灰」を復元させようと、昭和初期の資料を参考に試行錯誤を繰り返し行いました。そして麻紙の袋を使うなど独自の方法で復元した「とちのうカイロ灰」が出来上がり商品化に向けて取り組んでいます。麻殻は現在、花火の原料として再利用する方法が行われています。しかし、地道な作業で毎年炭焼き職人がいなくなり、全国で名渕さん一人になってしまいました。そこで麻炭焼きを守り続けている名渕さんよりご指導いただき、私達も麻炭焼きに挑戦しました。戦前からある野焼きの炉に直系1mの麻束を入れ、灰にならないように水をかけながら、火加減を調整するなど名人技を教わりました。

 そして私達も麻炭で花火作りの研究に取り組みました。花火のよしあしを検証するには、線香花火が基本となることを知り、足利工業大学の研究室をたずね製作していただきました。花火の配合割合にもとづき、麻炭を混ぜ合わせました。その結果飛び方、開き方、散り方なども安定した線香花火が出来ました。そして名渕さんと私達で焼いた麻炭が地元や全国の花火大会で上位の賞に輝き、品質の良さや精度が認められ、各地の花火業者から注文が殺到しています。

 次に農林水産省から集落の資源環境向上対策事業が示されました。その事業を村おこし活動に活かそうと景観や環境に優しい集落作りを私達の独自の方法で考案しました。また、昔から「ヒガン花」は日本各地の墓地周辺に魔よけとして植えられています。この伝統風習について古文書などで調査した結果、ヒガン花の鱗茎には有毒なアルカロイドが含まれ、ネズミやモグラが侵入してこないと記載されていました。さらに水田には野ネズミ、モグラが繁殖し、用水路の土手がすみかになっています。そこで伝統農法にヒントを得て、ヒガン花の球根の毒性を利用した駆除対策に取り組みました。9月にヒガン花の株を掘り起こし、株分けを行い、球根をポットに植え、今年は3000株を分球し農家に配布しました。球根は、モグラの駆除に役立ち、秋の彼岸に真っ赤に咲き誇るヒガン花は、稲穂やそばの白い花と調和し、水田の新しい景観作物として注目されてきました。

 地場産業には風土を生かし古くから地域になじんだ存在として資源依存型産業、地元の素材を生かし住民の技に支えられて存在する伝統技術型産業があります。これらは石灰工場、麻加工業者、麻殻焼き業者など郷土産業であり大切に次の世代につなげていかなければなりません。そして、共生させることにより新たな息吹を与え、生み出す原動力となると思います。農村の高齢化、過疎化により農家の空き家が多くなり大きな社会問題となっています。この自然豊かな山里に石灰工場で働く人々に移り住んでもらう、という活動が始まりました。さらに、多くの団塊世代が2007年に退職する中、地方に定住を夢みる時代的感覚が芽生えてきました。第二の人生を自然豊かな農村で過ごしてもらう、もしくは農業を生き甲斐として始める人々が増加していく中、里山オーナー制度や故郷再生活動などで村おこし事業の輪を広げていくつもりです。エネルギー消費の増大、資源の枯渇など地球規模での環境問題が深刻化する中、環境との共生や資源の有効活用などが重要となっています。先祖から何代も受けつがれてきた風土や資源と、そこに生きる人々の生活の知恵を土台に、地場産業は育ってきました。農村においても山村を復興させて行くことが、私達農高生が考える「小さな国作り」「豊かな村作り」の一考となると思います。そして、国の政策に掲げられている「美しい日本」の底辺活動として、日本の山村の自然そして、農村に残されている民俗風習を次世代に受け継ぐ後継者として頑張っていきたいと考えています。



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