北海道と麻とのつながり


屯田兵の奨励作物であった麻

クラーク博士像

北海道における麻(大麻)の最も古い記録は、1717年(享保2年)に編纂された「松前蝦夷記」にあります。
当時の和人地に関する記録に「松前西東の地にて雑穀、粟、稗、麻、多葉粉総って畑物土地に出来申候」という記述があります。

明治6年に北海道に屯田兵制度ができると、養蚕と大麻草栽培が授産産業として奨励しされるようになりました。
開拓使がおかれて初めて耕作されたのは、琴似・山鼻兵村(現・札幌市西区)であり、明治11年、屯田兵本部が栃木県産の種子を使って30町歩耕作したと記録されています。
当時の繊維の多くは、イワシやニシンの漁網用に製造されていたようです。

明治初期に函館の五稜郭で新政府と最後まで戦った榎本武揚は麻の栽培を自ら行い、北海道の麻産業に尽力しています。

クラーク博士が初代教頭を務めたことで知られている札幌農学校(現・北海道大学)では、大麻草栽培と亜麻栽培が正規の教科でした。

日清戦争後の明治40年、北海道製麻と日本製麻が合併して帝国製麻を創立させました。これの会社は、現在リネン(亜麻)製品を販売している帝国繊維株式会社の前身となりました。

第1次世界大戦及び第二次世界大戦中は、軍服、ロープ用などの軍需用に栽培が盛んとなりました。

北海道で麻産業の推進活動が始まった経緯

産業クラスター研究会オホーツク

北海道では、北見市の「産業クラスター研究会オホーツク」が2003年からこのテーマに取り組んできました。

2005年に栽培免許を取得し、麻の先進地であるドイツ、フランス、栃木県、長野県、韓国、カナダへなどへの視察ツアーを実施してきました。
【左写真は産業クラスター研究会オホーツク麻プロジェクト北見農業試験場】

そして、2008年8月8日に、北見市は北海道庁から「産業用大麻栽培特区」の認定を受け、新産業の創出へ向けた準備が開始されたのです。

その特区に認められたときの文書には、麻産業を推進する理由として次のように述べられています。

1)北見地方の基幹産業である建設業界が、公共事業の減少に伴い業態転換を求められている。麻の栽培およびその工業製品を製造することによって、業態転換と雇用の確保が期待できる。

2)離農や減反政策による耕作放棄地の増加している。(耕作放棄地は、現在道内に1万ヘクタールある)

3)窒素肥料過多による硝酸性窒素による地下水汚染が進んでいる。麻には土壌を浄化する効果を期待できることが、道の農業試験場において明らかになっている。
  
4)110日で4メートルという麻の成長によって、二酸化炭素の固定化ができる。
  
このように、麻は、北海道の次世代作物としての大きな可能性が期待されているのです。

大麻で土壌浄化



























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