福田カレンのエネルギー栄養学

vol.9 光を食べる

いきなりわたくしごとですが、100年近く前にサモアで撮影されたという、白黒のドキュメンタリーを観ました。当時の島民がどのような暮らしをしていたか克明に綴られていて・・というと、「天国のような南の楽園で、のんびり暮らす人々の様子に癒された」といった感想を述べようとしていると思うかもしれません。実は全然違います。人間って、つくづく「食べるため」にほとんどの時間を費やしている、今も昔も、ほんと「食べるため」に生きているんだな~と、むしろ少し心が圧迫されたような気持になりました。「食べるために(イヤな仕事もがまんして)働く」というのは、逃れることのできない宿命なのか・・・と。

でも、そうではないのですね。地球という場の物質性は今後どんどん希薄になっていきますから、食べることの重要度もそれにつれて下がっていきます。現在の私たちの肉体は、食べものという形で外部から物質を取り込むという、エネルギー的に視ればちょっと荒っぽい仕組みを当然のこととして受け入れていますが、肉体のヴァイブレーションが上がれば、現在のエネルギー摂取のプロセス、つまり

① 物質という形態のエネルギーを食べる
② 体内で純粋なエネルギーに変換する

の①を省いて、空間に満ち満ちているエネルギーを直接利用することができるようになるのです。
私は常々「人類はいずれ、みんな不食になる」と言っていますが、現在既に存在する食事というエネルギーに依存せずに生命を維持している方々は、決して特別ではなく、人類の誰もが持っている可能性をわかりやすいように示す役割をしてくださっているのだと思います。

考え違いをしていただきたくないのは、「意思の力で空腹を封じ込める」のは、不食への道すじではないということ。必要以上に長い期間ファスティングし、外出先でたおれたり、果食(といっても、フルーツだけを食べる、偏ったフルータリアン)にこだわるあまり、男性で体重が30キロ台になってしまい、まともな生活ができないという方がたま~にいらっしゃいますが、不食とは「食べたいと思わないから食べないこと」であって、空腹をがまんすることではありません。

では、不食への道すじとはどのようなものでしょうか。
エネルギーに敏感になり、そこここに存在するエネルギー(プラーナなど)を肉体という物質の力として使えるよう、徐々に身体を慣らしていくことだと私は考えています。
食事のエネルギーというと、カロリーや栄養素を思い浮かべますが、本質的には、食べることは物質の背後にある「光を摂取する」ことです。食べものだけでなく、人間の身体も、物質も、すべては光を発していて、エネルギー世界と情報をやり取りする媒質になってくれています。
その意味では、「光を食べる」というより、むしろ私たちは情報を食べているのかもしれません(以前の回で水の情報記憶についてお話ししたことがあります)。
情報の源は太陽であり、「空」「ゼロポイント・フィールド」「アカシャ」などと呼ばれるエネルギーフィールドですから、まずは自分自身が太陽光を浴びることと、太陽光が地球に届いて最初に物質化する形「クロロフィル」を摂ることも有効です。
光をエネルギーにできる植物(独立栄養生物)と異なり、動物は外部のエネルギーを必要とする従属栄養生物ですが、動物の身体にも、クロロフィルがたくさんあると光からエネルギーを生産できることがわかってきているのです。

<光を摂取するレシピ>
グリーンのコールドプレスジュース(サラダよりクロロフィルが摂取しやすいのでおすすめ!)

グリーンコールドプレスジュース

(2018.9.17 福田カレン) プロフィール