武田邦彦コラム

師の喜びとは、弟子が自分を超えていくこと

私もずっと先生業をしてきたのですが、根本的に大切なことは「弟子は師を超えるものである」ということです。弟子が師を超えなければ学問と言うのはやる必要がありません。
時代が進歩していき、学問も進歩していきます。かつて何の力学も無かった時代にニュートンが生まれてニュートン力学が存在するようになり、それが完全だと思っていたら今度はアインシュタインが現れて違う力学を提供してくれました。そういうことが我々の喜びなのです。

ですから、私が教えた弟子が私の考えを超えてくれること。これはカッコつけではなくて本当に学校の先生というのはそれが楽しみでやっているようなものなのです。
弟子が自分の足元から離れて新しい飛躍をするということは凄く良いことでなのですね。かわいい子には旅をさせよ、と言うのと一緒です。
ところが、日本では大学の体制が貧弱であることもあり、自分の研究室を出た学生を自分の大学院の研究生にしておきたいという希望を持っている先生が多いのです。

今テレビで報道されていることが本当であれば、レスリングも相撲も発展しないと思います。
発展というのは、師を超えていくことです。協会といった組織があれば、組織がそのことを喜ぶことです。
相撲自体も、今までの伝統を超えて新しく飛躍させていく人に拍手するようにならないと明るくないですね。

もう一つの問題は、個人と組織という問題です。
日本人には、個人よりも組織を優先するという風潮があります。

日本というものはやはり愛国心を持ってまとまっていなければならない。団結して良い社会を作っていかなければならない。これは絶対に大切だと思います。家族も地域も大切ですね。
ただしそれは、個人が大切だという基本に立って、個人が大切であるからこそ組織も地域も国家も大切なのです。

山下奉文大将が言ったことを考えると、戦前の日本が国家を主体にしていたとは言えません。

「個人がしっかりしなければ国は成り立たない。
だから、上官の命令を唯々諾々と聞く兵士であってはならない。
夫の言うことに従うだけの妻であってはならない。
それぞれしっかりと自分の考えを持ち、必要に応じて、自分の考えは違います、と言える兵士、言える妻が日本の発展につながるのだ。」

このように、1945年に帝国陸軍の大将が言っているわけです。
だから、戦前は個人が大切にされていなかったなんて安易に言ってはいけないのです。そういうことは、日本人が劣っているということを印象付けるためにアメリカ軍が作った教育プログラムの中に書いてあるというだけなのです。

(2018.03.09 武田邦彦)プロフィール