男女平等という概念は昔の日本には無かった
名古屋でロボットコンテストが行われました。貴乃花親方も来られて、私も審査をやったりトロフィーを渡したりという役割で協力しました。
選手は小学生を中心に50名ぐらい。すべて男の子でした。
自分で作ったロボットなので、電池とモーターを使ってペットボトルの蓋を出来るだけ多く相手陣営に投げ入れるという競技でした。複雑な作戦も見られて、見ていて非常に面白いものでした。
勝負を見ている時にスタッフの大人の男性に「やはりロボコンというと男の子が多いんですね」と言ったら、その人が「ええ、男の子と女の子と同じぐらいの数になったらいいんですけどね」と答えたので私は驚いてしまったのです。
現在の世の中は、片方では「個性を尊重したほうが良い」と言いながら、男と女の問題になると「同じことをするのが良い」と180度態度が変わってしまいます。個性に関係なく男女共同参画ということなんですね。
個性の一番大きいのが、やはり男性と女性の差です。
女性は語学力が発達していて、連携的な頭脳をしています。筋肉は弱く空間認知能力は低いですね。
男性は空間認知能力が高くて、機械的なものに興味を示します。そして戦う力を持っています。
ですから、小学生ぐらいですと空間能力が無いとロボットを制作することができません。空間能力というのは育てられ方の問題ではなく、本質的に頭の構造がそうなのです。
個性を生かすことは非常に重要です。今の教育の大きな問題点は、数学が得意ではない子にも数学をやらせ、国語が得意ではない子にも国語をやらせる。
読み書きと足し算引き算ぐらいはやったほうが良いが、微分方程式とか難しいものは得意な子にやらせれば良い。国語でも新聞や本が読めれば良いと思います。
それぞれ自分の頭脳や体の特徴を生かした楽しい勉強をしたら良いわけです。
男は中指に対して人差し指が短いので、ネジを回したり何かを削ったりするような細かい手仕事は男の方が器用です。ですから、職人というのは男が多いのです。
だいたい職人というのはしゃべってはいけないので、黙ってひとつのことを黙々とやる。だから言語能力が発達し過ぎていてはいけない。
女性はコミュニケーションが得意なので、人と人との間を取り持つとか、他人の世話をするとかいうことに向いているわけです。
もちろん、男性っぽい女の子もいるし、女の子が好きなようなことを好む男の子もいますので、男と女ではっきりと切り分けてはいけない。
女性と男性が同じことをしなけれぱいけないというのは、論理が合っていないのです。
このことは男女差別とは全く関係ありません。むしろ個性を生かすということなのです。
男女平等というのはもともとヨーロッパの概念です。比較するから平等という考え方になります。
日本では男と女を比較しなかったから、男女平等という概念は無かったのです。
(2019.7.20 武田邦彦) プロフィール